旧暦について

いま使われている暦はグレゴリオ暦と呼ばれています。ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦の改良を命じ、1582年10月15日金曜日から使われている暦法です。太陽の動きをもとにして作られているため、「太陽暦」と呼ばれます。日本では1872年に採用され、明治5年12月2日(旧暦)の翌日を、明治6年1月1日(新暦)(グレゴリオ暦の1873年1月1日)としました。それまでの日本では、月の満ち欠けをもとに、太陽の動きを考慮して作られた「太陰太陽暦」が使われていました。太陰太陽暦といっても、長い歴史の中で多様な暦法(計算の規則)が存在しますが、太陽暦への改暦の直前に使われていた「天保暦」と呼ばれる暦法のことを、今の日本では一般に「旧暦」と呼んでいます。

太陰太陽暦では、月の満ち欠けをもとに暦が決められているので、月が新月になる日を月の始まり(1日)とします。それから翌日を2日、その次の日を3日と数えたのです。そして、次の新月の日がやってくると、それを次の月の1日としました。

新月から新月までは平均して約29.5日ですから、12ヶ月間では約29.5日×12ヶ月=約354日になります。太陽暦の1年は約365日ですから、約11日短いことになります。このため、少しずつ実際の季節とずれることになります。これを修正するために閏(うるう)月というものを入れてていました。閏月は平均すると19年に7回ぐらいの割合で入ることになります。閏月の入る年は、1年が13ケ月あることになります。2月の次に閏月が入ると閏2月と呼びます。どこに閏月を入れるかは24節気と関係が深いようです。いろいろとルールはあるようですが、現在では使われていない太陰太陽暦ですので公式なルールはないようです。

http://ajnet.ne.jp より

今でも、太陰太陽暦にのもとでおこなっていた習慣は、私たちの生活の中で生きています。例えば、「中秋の名月」は太陰太陽暦の8月15日の夜の月のことをいい、たいへん美しいものとして今でも鑑賞され話題を呼んでいます。太陰太陽暦は使われなくなりましたが、このような昔からの風習やその意味は大切にしていかなければならないと思っています。

 

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