鎌刃城散策

先週は、好天が続きていました。日曜日から急に寒くなるとの予報でしたので、土曜日に思い切って前から気になっていた鎌刃城へ行ってきました。


鎌刃城とは

文化遺産オンラインより引用
鎌刃城跡は、米原町の東部の標高384mを頂点とする山稜に所在する中世の山城跡である。
城跡が位置する山稜は、京極領と六角領の境に位置し、この周辺には佐和山城・菖蒲嶽城・太尾山城・磯山城などが所在し、こうした城跡は境目の城として機能した。鎌刃城の築城年代は明らかではないが、『今井軍記』には文明4年(1472)の京極家の家臣による鎌刃城攻めの記事があることから、応仁の乱の時期には築城されていたものと考えられている。また、天文期には近江守護六角氏による鎌刃城在城の京極家家臣であった堀氏攻めが行われている。堀氏は、この時期六角氏側についたり、浅井氏側に属するようになったりしたが、元亀元年(1570)に織田信長に内応して、浅井氏に対抗するようになる。天正2年(1574)、堀氏は信長により改易され、城内に備蓄されていた米穀二千俵が徳川家康に与えられたことが記録に見え、この後鎌刃城は廃城となったものと思われる。
城跡の遺構の分布する範囲は、東西約400m、南北約500mを測り、江北地方では浅井氏の居城小谷城跡に次ぐ規模である。主郭を中心に北方尾根上に7箇所、南方尾根上に2箇所、西方尾根上に8箇所の曲輪を設け、主郭を含む一部の曲輪は周囲を石灰岩の石積みで構築している。また、尾根の先端はすべて堀切で防備され、西方尾根には連続竪堀群が見られる。
城跡は、平成10年度から3箇年にわたって米原町教育委員会により発掘調査が実施された。調査の結果、北方尾根上の曲輪からは半地下式の南北8間、東西7間と想定される大規模な総柱の礎石建物が検出され、大量の鉄釘も出土した…


散策開始

名神高速道路をくぐる隧道には、獣害対策の金網が設置されています。開けて登山の開始です。途中には、工程を示す標識が設置されています。猿や猪、稀に熊も出没するようです。標識の設置はとてもありがたい事です。

30分くらい登ったでしょうか。見張台に到着。そんなに険しい山道ではありませんでしたが、ところどころに倒木がありました。熊に対して存在を示すための鐘が設置されていました。

大堀切に到着。堀切とは、主に山城に用いられる防御のための土木建築物。外敵の侵入防止や遅延のために、人工的に開削して溝にしたもの。空堀の一種。

少し登ると、長浜方面を展望できる展望台が設置されていました。

長浜方面

伊吹山方面

別の櫓からは彦根方面が見渡せます。

鎌刃城跡到着

主郭に到着しました。誰も登っていないと決め込んでいたのですが、ここまで登ってくる間に、4名のハイカーとすれ違いました。土曜日ということもあったのか少し驚きました。

下山は次の投稿で。ここまでの所要時間は、45分程でした。

 

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